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momoな毎日

古いカルト映画から最新アクション、海外ドラマまでいろいろレビューしています。好物はオカルト、サイコ、殺人鬼、吸血鬼、廃病院、エイリアン、人魚、ローマ時代などなど。結果的にホラーものが増殖中。

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『ワンス・アンド・フォーエバー』(2002) - We Were Soldiers -

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戦いが、奪えないもの。真実の物語は決して彼らをヒーローにしなかった。

We Were Soldiers_07


■ワンス・アンド・フォーエバー -We Were Soldiers-■ 2002年/アメリカ/138分
 監督   :ランダル・ウォレス
 脚本   :ランダル・ウォレス
 製作   :ランダル・ウォレス、ブルース・デイヴィ他
 製作総指揮:ジム・レムリー、アーン・L・シュミット
 音楽   :ニック・グレニー・スミス
 撮影   :ディーン・セムラー
 出演   :メル・ギブソン(ハル・ムーア中佐)
       バリー・ペッパー(ジョー・ギャロウェイ)
       マデリーン・ストウ(ジュリー・ムーア)
       サム・エリオット(ベイジル・プラムリー上級曹長)
       グレッグ・キニア(ブルース・クランドール少佐)
       クリス・クライン(ジャック・ゲイガン少尉)
       ライアン・ハースト(サヴェージ3等軍曹)
       マーク・ブルカス(ヘリック少尉)
       ドン・ズオン(アン中佐)

解説:
ベトナム戦争の初期、アメリカ軍が本格的に介入して最初に北ベトナムと交戦し、壮絶を極めたイア・ドランの3日間の戦いを描いた戦争ドラマ。主演は「ブレイブ・ハート」のメル・ギブソン。実際にこの戦いに参加したハル・ムーアとUPIの戦場カメラマンとしてその場に立ち会ったジョー・ギャロウェイ、二人の共著によるベストセラー・ノンフィクションの映画化。
 (allcinemaより)

あらすじ:
We Were Soldiers_021965年11月14日。南ベトナムの中央高地、イア・ドラン渓谷。
大隊長ハル・ムーア中佐率いる第7騎兵連隊第1大隊はこの渓谷に降り立った。総勢約450名。待ち構えていた北ベトナムのベトナム人民軍は、迷路のように張り巡らされた山中トンネルに基地を置き、その数約4,000名。
戦闘開始早々、窮地に陥るアメリカ軍。そこへUPIの戦地特派員ジョー・ギャロウェイが前線にやってくる-




長き泥沼と言われたベトナム戦争序盤の「イア・ドラン渓谷の戦い」を描いた作品。
原作はこの戦いを率いたハル・ムーアと、前線で取材したジョー・ギャロウェイである。

We Were Soldiers_03ベトナム戦争を描いた数多くの他作品とは違い、北ベトナム正規軍とアメリカ軍最初の戦いといえる「イア・ドラン渓谷の戦い」を扱っているため、舞台となる戦場と敵であるベトナム人民軍の様子が他作品に比べちょっと違う。
ジャングルに神出鬼没のベトコンゲリラ的攻撃というより、イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙(2006)』の日本軍をイメージさせる。
これには理由があり、物量に勝る大国相手には正面的な衝突では勝てないと悟った北ベトナム軍は、この戦い以降、主にゲリラ戦を戦術として取るようになったから、というものである。

物語は、この熾烈極まる戦いの兵士達、前線でその全てを目撃するフォトジャーナリスト、家を守り、兵士の帰りを待つ家族の毎日と平行して、アメリカにとっては敵側であるベトナム側の兵士、家族の視点にもたち、この戦争の表と裏を描写する。

監督 ランダル・ウォレス
アメリカ合衆国の映画監督、映画プロデューサー、脚本家。
史実、実話に基づいた作品が多い。
■主な作品
 ・ブレイブハート Braveheart (1995年) 脚本
 ・ダークエンジェル/暗黒の殺人連鎖 Dark Angel (2006年) ストーリー原案
 ・仮面の男 The Man in the Iron Mask (1998年) 脚本・監督・製作
 ・パール・ハーバー Pearl Harbor (2001年) 製作総指揮・脚本
 ・ワンス・アンド・フォーエバー We Were Soldiers (2002年) 監督・脚本・製作
 ・セクレタリアト/奇跡のサラブレッド Secretariat (2010年) 監督
 



メル・ギブソン(ハル・ムーア中佐)
We Were Soldiers_14ニューヨーク州ピークスキル生まれの映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー。1968年に家族でオーストラリアに移住。
1979年にアクション映画『マッドマックス』の主役でスターの座をつかんだ。オーストラリア映画で活躍した後、1982年にアメリカ映画初出演。『リーサル・ウェポン(1982)』シリーズなどで人気を確たるものにした。
本作『ワンス・アンド・フォーエバー』が公開された同じ2002年に『サイン』も公開されている。
多数の出演作以外にも監督作として『ブレイブハート』(1995/アカデミー監督賞受賞)、『パッション(2004)』、『アポカリプト(2006)』がある。

バリー・ペッパー(ジョー・ギャロウェイ)
We Were Soldiers_13プライベート・ライアン(1998)』の狙撃兵・ジャクソン二等兵でよく知られている。
1996年に映画デビュー。ビリー・クリスタルが監督した『61*』(2001年)でエミー賞主演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)とゴールデングローブ賞男優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)にノミネートされた。
最近では『トゥルー・グリット(2010)』『ケネディ家の人びと(2011)』などに出演している。1970年生まれ。




ベトナム戦争。
遠い地、ベトナムで起きたアメリカ合衆国と北ベトナムの戦争(1960~1975年)。
日本人である私たちには関係のない、余所の国のお話か?実はそうではなかった-

ベトナム戦争とは
インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争。
ベトナム戦争は第一次インドシナ戦争の延長上にあるため第二次インドシナ戦争とも言われる。宣戦布告なき戦争である。
この戦争はアメリカを盟主とする資本主義陣営とソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営との対立(冷戦)を背景とした「代理戦争」であった。ホー・チ・ミンの率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)側は、ベトナム共和国(南ベトナム)をアメリカ合衆国の傀儡国家と規定し、ベトナム人によるベトナム統一国家の建国を求めるナショナリズムに基づく植民地解放戦争であるとしていた。
第一次インドシナ戦争終結後も、北ベトナムが支援する南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が南ベトナムで反政府活動を続けたため、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー政権は少数のアメリカ軍人からなる「軍事顧問団」を南ベトナムに派遣した。ジョン・F・ケネディ大統領は軍事顧問団の規模を増大させた。リンドン・ジョンソン大統領は大規模なアメリカ軍を送ってベトナム戦争に積極的に介入した。
しかし長く続くベトナム戦争をめぐってアメリカ国内では大規模な反戦活動が発生し社会に大きな影響を与えた。1973年のパリ協定を経てリチャード・ニクソン大統領は派遣したアメリカ軍を撤退させた。その後も北ベトナム・ベトコンと南ベトナムとの戦闘は続き、1975年4月30日のサイゴン陥落によってベトナム戦争は終戦した。
Wiki:ベトナム戦争



We Were Soldiers_12こじれた独立交渉から勃発した第一次インドシナ戦争(1946~1954年)。
この戦争はフランスからの独立をめぐってホー・チ・ミン率いる北ベトナム(ベトミン軍:ベトナム独立同盟会)とフランス軍が戦う。
全面衝突は1946年12月19日。第二次世界大戦終結の翌年である。
この戦争にも他国がそれぞれの立場で援助という名の下に介入。アメリカはフランスに軍事援助した。


一方、ベトミン軍への日本人志願兵も存在している。
日本人志願兵は約600名に上るとされており、陸軍第34独立混成旅団参謀の井川省少佐を始めとする高級将校から兵卒にいたるまでの多くの志願兵が独立運動に参加していた。日本人志願兵はベトミンに軍事訓練を施したり、作戦指導を行っていた。ベトナム初の士官学校であるクァンガイ陸軍中学の教官・助教官全員と医務官は日本人であった。30名を上回る日本人がベトナム政府から勲章や徽章を授与されていることが確認されている。


敗戦後、どうして海外に日本兵が?
実はそこには、第二次世界大戦の終結に伴う現地除隊のちも祖国へ復員せずに現地に残留した旧日本軍の将兵「残留日本兵」の存在があったのだ。

残留日本兵
日本軍の兵士としてアジア太平洋諸国に駐留したものの、1945年8月の終戦により現地で武装解除、除隊処分とされたが、連合国軍の占領下におかれた日本に戻らず、内戦状態に陥った中華民国や、再びヨーロッパ諸国やアメリカなどの植民地支配下に戻されたこれらの地に残留した、もしくは残留を余儀なくされた将兵が多数存在した。



それら残留日本兵の一部が、ベトナム初の士官学校であるクァンガイ陸軍中学の教官、助教官、医務官となり北ベトナムを支援した。そして10数年後、アメリカは、この学校を卒業した士官達が指揮する北ベトナム軍と戦うことになる。その初の戦場が「イア・ドラン渓谷」なのである。

■主な残留日本兵
小野田寛郎(陸軍少尉、陸軍中野学校出身。1974年までフィリピンルバング島で任務遂行)
井川省  (陸軍少佐、ベトナム独立戦争で戦死)
石井卓雄 (陸軍少佐、クァンガイ軍政学校、トイホア陸軍士官学校教官、ベトナム独立戦争で戦死)
林弥一郎 (陸軍少佐、東北民主連軍航空学校で中国共産党空軍創立に寄与。日中友好会会長。1956年帰国)
中原光信 (陸軍少尉、ベトナム独立戦争志願、クァンガイ陸軍士官学校教官。日越貿易会会長)
谷本喜久男(陸軍少尉、陸軍中野学校出身。ベトナム独立戦争志願、クァンガイ陸軍士官学校教官。 1954年帰国)
日向勝  (陸軍少尉、中国共産党軍将校として国共内戦参加。参謀、大隊長、砲兵学校教官等。 1958年帰国)
横井庄一 (1972年までグアム島に潜伏)
上野石之助(樺太残留)
石田東四郎(中国残留。1993年帰国)
中村輝夫 (高砂義勇隊一等兵。1974年までインドネシアモロタイ島に潜伏)





戦争映画を観ると、何か心がざわつき色々と考えるものだ。
だがそれはあくまでも、自宅のテレビの前で考えているに過ぎない。
‘戦争は悲惨だ’‘二度と起こしてはならない’と言いながら、今日も世界のどこかで戦いは起きている。
あなたの食べているもの、着ているもの。それはどこで作られたものですか?
無くてはならない石油。それはどこで産出されているものですか?
戦争は決して余所の遠いところで起こっているものではない。
日本の立場は昔も今も変わらない。          なんて、ちょっと書いてみる。

ではまた



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